1/24 12:58 UP!
第11話 インドで覚えた、気持ちがぐちゃぐちゃなままでも横になっていいこと
――混沌が、排除されていない国
インドの朝は、境界があいまいだ。
バラナシの路地を歩くと、
祈りの声と、鍋の音と、
目覚めきらない人の足音が重なっている。
ガンジス川の近くでは、
火葬の煙がまだ薄く残っていて、
そのすぐ横で、
歯を磨く人や、洗濯をする人がいる。
生と死が、
きれいに分けられていない。
最初は、頭が追いつかなかった。
どこを見ればいいのか、
何が正しい距離なのか、分からない。
街はうるさい。
クラクションは止まらないし、
牛は道の真ん中で動かない。
人はそれを避けながら、
文句も言わずに進んでいく。
インドでは、
邪魔なものを排除しようとしない。
そこにあるなら、
そこにある前提で動く。
列に並ぶ感覚も、
日本とは違う。
順番はあるけど、
きっちり守られてはいない。
でも、誰もそれを不正だとは言わない。
世界がそうできている、
という受け取り方をしているように見えた。
食事も同じだ。
屋台で出てくるカレーは、
日によって味が違う。
辛すぎる日もあれば、
驚くほど薄い日もある。
でも、
それをクレームだとは思っていない。
今日はそういう日、
それだけ。
インドでは、
完璧を期待しない。
整っていない状態を、
最初から含めて受け入れている。
この国にいると、
自分の中の
整えようとする癖が、
少しずつ緩んでいく。
ちゃんと理解しなくていい。
結論を出さなくていい。
混乱したまま、
そこに立っていてもいい。
女風の現場でも、
感情が整理できていないまま
来る人は多い。
何を感じているのか分からない。
何を求めているのかも、
はっきりしない。
でも、
インドで見たのは、
分からない状態が
排除されていない世界だった。
施術でも、
気持ちを言語化しなくていい。
整っていなくていい。
途中のまま、
一緒にいられたらいい。
答えを出す場所じゃなくて、
混沌を抱えたまま
呼吸できる場所でありたい。
たけと
インドの朝は、境界があいまいだ。
バラナシの路地を歩くと、
祈りの声と、鍋の音と、
目覚めきらない人の足音が重なっている。
ガンジス川の近くでは、
火葬の煙がまだ薄く残っていて、
そのすぐ横で、
歯を磨く人や、洗濯をする人がいる。
生と死が、
きれいに分けられていない。
最初は、頭が追いつかなかった。
どこを見ればいいのか、
何が正しい距離なのか、分からない。
街はうるさい。
クラクションは止まらないし、
牛は道の真ん中で動かない。
人はそれを避けながら、
文句も言わずに進んでいく。
インドでは、
邪魔なものを排除しようとしない。
そこにあるなら、
そこにある前提で動く。
列に並ぶ感覚も、
日本とは違う。
順番はあるけど、
きっちり守られてはいない。
でも、誰もそれを不正だとは言わない。
世界がそうできている、
という受け取り方をしているように見えた。
食事も同じだ。
屋台で出てくるカレーは、
日によって味が違う。
辛すぎる日もあれば、
驚くほど薄い日もある。
でも、
それをクレームだとは思っていない。
今日はそういう日、
それだけ。
インドでは、
完璧を期待しない。
整っていない状態を、
最初から含めて受け入れている。
この国にいると、
自分の中の
整えようとする癖が、
少しずつ緩んでいく。
ちゃんと理解しなくていい。
結論を出さなくていい。
混乱したまま、
そこに立っていてもいい。
女風の現場でも、
感情が整理できていないまま
来る人は多い。
何を感じているのか分からない。
何を求めているのかも、
はっきりしない。
でも、
インドで見たのは、
分からない状態が
排除されていない世界だった。
施術でも、
気持ちを言語化しなくていい。
整っていなくていい。
途中のまま、
一緒にいられたらいい。
答えを出す場所じゃなくて、
混沌を抱えたまま
呼吸できる場所でありたい。
たけと




